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  • 磯前順一: 世界は僕らを待っていた

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2017年8月21日 (月)

お盆休みも終わりまして

ジュリーさんも しばしの夏休みを過ごされ 昨日から再始動

そろそろ私も 背筋をしゃんとしないとね

・・・なんて言いながら 今年の夏にへきえき なかなかピリッといたしません

69だもんね、、、あちこち 身体がガタついて 故障も多い年代なんだと

実感させられてる日々なんです

ステージ上を右に左に 時にはジャンプしながら 歌まで歌ってるジュリーを観ると

その体力と気力と根性に ただただ感嘆してしまいます

きっと お休みの期間中に ちゃんと身体のメンテナンスをされてるからなんでしょうね

ジュリーを見習って ちゃんと身体を維持していかないと 

元気なジュリーについていけなくなっちゃう  それはイヤだ~

毎回 コンサートの度にお願いされてるんだから 

各自健康に留意して 座席を確保する役目を担わないと  

 

 

先日スーパーに買い物に行った時 ふと思い出し

久しく覗いていない子供向けのお菓子売り場に行ってみたら

こんなのが有りました チョコベビー  

パッケージのデザインなどはちがうけど ネーミングはそのまま

ちっちゃなお子さま向けだから 箱も中のチョコの粒も小さいけど まだまだ健在なんですね

 

そういえば 7月31日の「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」

ジュリーの曲が普段よりもたくさん放映されて 嬉しかったですね

J友さんのお気に入りのショット 「カサブランカダンディ」 

写メいただいてたので 今頃ですが こちらにも記念に載せておこうと思います

溌剌としてお肌ピカピカ お気に入りのショットっというの 良く解ります 

 

ジュリー50周年にちなんで 自分のジュリーファン歴50年を振り返ろうと

無謀なことを言ってみたのですが

他のファン歴50年の そうそうたるブロガー様の記事を拝見し

私にはその何十分の一も書くことがないことに気づきました

資料の添付もなく ただただ 自分の回想だけしか書けないけれど

これが私のファンとしての歴史だから仕方ないですね

 

 

学生生活を終え 九州に帰って就職して

それからの数年間は ジュリーが福岡県に来る度にコンサートに行っていました

あの頃のセキュリティ対策はどうなっていたのか?

私?妹?レコード会社関係者のお父さんを持っていた友人? の誰か 

が撮影した生のステージ中の写真まで有りますが

あの頃はそんなことして大丈夫だったのでしょうか?

ジュリーが結婚した1975年 私にははるかに遠い世界のジュリーだから

ショックを受けるのはおかしいけれど やっぱり相当なショックだったのでしょうかww

その頃の確かな記憶がないんです

ピーナッツは好きだったのに それ以降しばらくは ピーナッツの曲を聴くのが嫌だったな~(笑)  

その後 人並みに恋をし ほぼ何も持たずに遠い大阪の地で結婚し 

その後 母が妹夫婦と同居のために引っ越しした折に 私の荷物を処分してもらったために

私の独身時代に貯め込んだ タイガースやジュリーの書籍や切り抜きやポスターも

ほぼ消失してしまいました

後日 というか 30年ほども経ってから 

妹が保管していてくれた写真集と大判のポスターなどが戻ってきたけど

切り抜きなどは 母の判断で処分されたようで 母が亡くなった後の荷物整理の際には

それらしきものは どこにもなかったそうです

私が 結婚し子育てを始めた頃 ジュリーはまだまだテレビの売れっ子

歌番組に かくし芸 ドリフの番組 その他バラエティー番組

ドラマに 映画に とひっぱりだこ 

ライブで見られなくとも 情報源は沢山々々ありました

ジュリーの言う 「売れたのはごく短い期間」 というには当たらないほど

数十年分の凄い仕事を その数年にこなしていたと思います    

マスコミの情報や ファンクラブに入っていた妹からの情報とで

幼い子どもをかかえてライブに行けない間も ストレスが溜まることもなく過ごせていた

のですが・・・

ジュリーが短気を起こした期間や テレビから歌番組が極端に減っていった頃から

ジュリーの動向を知る機会が減ってしまい 寂しい日々をおくることに・・・

それでも テレビドラマや ラジオに出ることも多く NHKの朝ドラに 大河ドラマ

そうそう「琉球の風」の尚寧王  高貴な王の姿が似合っていて 好きだったな

民放のドラマや 映画と 主演作品が多々有りました

親や姉妹から遠く離れ 子どもを預けるところもない私にとっては

テレビから発信される情報が 最大の頼りだったのです 

独立後 テレビからの情報が少なくなってからも 

新曲が出たら妹から音源を送ってもらう ということはできていたけれど

姿を観ることは極端に減ってしまい 不満の募る毎日を過ごすことになりました

そのうちに 自分の性格上 主婦として家の中におとなしくしていられず 

何やかやに手を出し足を出し ジタバタしはじめて

少々ジュリーから遠ざかってしまっていることを 考える暇さえない生活になっていったのでした

 

ここまでをいったん保存し 

しばらくして続きを書いて やっと書き終えた

・・・はずだったのに 

今 続きの記事が全部消えてしまいました

 

あああ~~~

なんで~~~

 

一旦 このまま記事を公開し その後のことを もう少し

後日書き足していこうと思います

 

  
  
さて 気を取り直して

 

結婚した時 私が大阪に持ってきたのは 

タイガースとソロのジュリーになってからの数枚のLPレコードと

なぜか 歌詞を手書きで書き留めたノートだけ

なぜ手書きで歌詞を書き写しただけのノートが そんなに大事だったのか?

未だにはっきりとは思い出せませんが(笑)

ジュリーを思いながら一文字一文字書き綴る作業が 

若い乙女だった当時の私には とても大切なことだったのだろうな と思います

 

1985年 ジュリーが独立し ココロを設立した年の7月 諦めかけていた二人目が誕生

1987年 1989年 ジュリーが大変な時期は 2人の子育てに大わらわの最中

世間の非難も中傷も聞こえてはきたけど  

人生そういうことも有るよ 自分の意志でどうにも変えようのない運命は有るんだよ 

と 密かに ジュリー擁護派に所属していました

いま古いアルバムを聴く時に いちばん好きなのが この頃の数枚のアルバムです

この時代の曲達がヒットしなかったのは 時代が遅れていたとしか思えない  

 

 

夜も更けてきたので 瞼が勝手に閉じてきます また しばらく休憩 

おやすみなさい  

 

 

今日は8月22日  もう8月も終盤というのに 

この辺りは 朝の家事を一通り終えるころには クーラーのスイッチを入れずにはいられない暑さです

冷夏と雨の関東方面も大変ですが 

今朝の最低気温が28℃をこえていたという 大阪の暑さも大変

各地の気温を合わせて 足して割って程よくしたい

 

今週末 某局の24時間テレビのドラマで 阿久悠物語が放送されるけど

ジュリーの曲も流れるのかな? どんな形で扱われるのかな? ちょっと気になります 

 

 

さて

 

時代がついて行っていない  などと 音楽に関して ドが付く素人の私が何を偉そうに

と ちょっと反省

「架空のオペラ」「Co-CoLO1~夜のみだらな鳥達」「告白」「TRUE BLUE」は

レコードからCDに移行する過渡期だったようです 

レコード盤から?妹に録音してもらったその4本のテープ

自分は買いもせず妹に録音して貰ったことは 今となっては猛烈な反省点)  

自分好みの音楽番組などとは縁遠く 子供の好きな番組しか見ないような子育て期間の生活の中で 

貴重なこのテープを繰り返し聴いては 束の間の時間 ジュリーの世界に浸っていました

その頃のオリジナルの音源が欲しいけど なかなか手に入れるのは難しい

数年前 再販された時には 飛びつくような気持ちで購入しました 

今 聴いても 色褪せることがない曲の数々

音楽は 不思議、、、  どんなに素晴らしい曲でも ヒットしないことも有る

見出されず埋もれてしまうことも有る

芸能界も不思議、、、  本人の素質や能力より 事務所の力の方がものをいう

世の中も同じか、、、  理不尽だなぁ、、、と思うことも多いけど いつの間にか流れていく、、、

(その中を したたかに潜り抜けて 今輝いているジュリーを目の当たりにして 

信念を貫いて生きてきた人の 強さ 美しさ 大きさを ジュリーの歌う姿の中に観て

自分の心も身体も100%のジュリーファン! に出戻ったのは もうちょっと後のことですが

1990年ごろから 私は あることを学びたくなり 専門学校に

主婦をしながらの勉強は 時間の無さと戦うことで 

宿題や課題をこなすためには睡眠時間を削ることしかなく 2~3時間しか寝られないことも有りました

自分のわがままの為だから 自分が文句を言えないのは当たり前ですが

夫も子どもたちも よく我慢してくれていたなあと 今更ながら思い出して 後悔と反省 

その後も 夫の仕事の事務を手伝いながら 自分のやりたいことを並行してやったりの日々

常に時間が足りないと思っていた時期が続きました

2000年 私は今の教室の仕事の延長で 大の苦手の飛行機に乗って海外研修に行き

そのことが 少しだけ 自分に自信が付くきっかけになったのです 

そんな時期だったから いつしかジュリーから遠ざかっていることさえ気づかずに暮らしていたころです

それでも テレビ欄に沢田研二の名を見つければ観ていた そういう期間でした

2001年 ジュリーが再び積極的にメディアに登場しようとした年

久しぶりに観た 歌うジュリーの姿に 正直にいえば 少なからずショックを受けました

少しふっくらしてきたことはわかっていたけど 普段の姿じゃなく 歌うジュリーはまだまだ昔の姿だと

なぜかそう思っていて 自分のイメージとのギャップに驚いたのでした

いま録画を見直せば たいして太めじゃないやないの すごく素敵なおじさまやないの って思うんですが

その時は 若い細いジュリーと重ね合わせてしまったのですかね

その後 CS放送で ジュリーのライブが流れた時も 

王子様が王様に変化したことを まだ受け入れる体制になっていなくて

そのことを 正直に妹に言った時の妹の反応

「もう 姉ちゃんとジュリーの話はしない!」とカンカンに怒りました

今思えば 妹の反応は当たり前 当然のことだと分かります

ひどいこと 言っちゃったなぁ~ 

その後 「eiko」「幸福のスイッチ」の映画や テレビドラマ「マチベン」の後藤田さんを観て

等身大の男性として 素敵に歳を重ねてきたジュリーを感じて

私の心の中のジュリーが占める面積が また大きく温かく広がり始めていました

2008年 11月

新聞広告欄に 沢田研二 の名を見つけました

京セラドームで還暦コンサート?!

日時を見れば あと数日に迫ってる!

その頃 澤會にも入っていず 

頼りの妹は 私にジュリーの情報を話してくれなくなっていたので

私にとっては その日初めて知った 大変な出来事だったのです!

すぐに妹に電話

「ジュリー還暦コンサート 京セラドーム って 広告出てるよ!」

「知ってるよ」 妹は当然知ってることだから すごく冷静な返事

「あと数日しかないのに 今頃新聞広告って 席がいっぱい残ってたらどうする?!」 

「ああ そうか そうやね」 ちょっと心配になり 慌ててる

「大阪来れる? 来れたら 私も一緒に行く」

いままで 福岡県内以外 遠征などしたことのない妹です

「う、、、ん、、、 、、、行きたい! 、、、でも 私荷物持てない、、、」

その年の前年までの数年 原因不明の症状で 歩くことが出来なくなっていた妹は

やっとその年から 少しずつ動けるようになって 

荷物を持たなければ歩けるくらいになったばかりでした

「要るもの有ったら宅急便で送ったらいいやん お財布と新幹線のチケットだけで来たらいいやん」

「そうやね! 行く!」

こんな会話だったと思います 5分か10分のうちに 二人で行くことが決まり

私は京セラのチケットを買いにコンビニに走りました

夫に事情を話したら 長距離を歩けない妹のためならと 車での送迎をかって出てくれました

あっと言う間にトントン拍子で話がまとまり 私のジュリーライブ復活の日が決まったのでした

その後 私が毎年ジュリーコンサートのために家を空ける日が数日有ることになるとは

その時の夫は知るよしもなかったでしょう

その後 妹の身体も順調に回復し 今は大阪にも時々遠征してきて

私が福岡に行くことも有り 節目の年には 2人で東京まで行くことも

ブログを書き始めた頃は ライブのことを出来る限り 覚えていることを全部

書き残しておきたい!そんな意気込みでした

ジュリーの言った一言一句 歌声も忘れたくなくて 自分の脳に録音装置がついてたらなあ~って思うくらいでした 

でも 60歳こえての9年間は 記憶力がどんどん落ちていくのを実感するばかり 

最近は幸せの余韻以外は 会場を出たとたんに忘れてる(笑)

でも 幸せだったなあ 明日からまた しばらくはその余韻だけで元気でいられる

って思いながらの帰り道は 本当に満足感でいっぱい

今思い出せなくても J友さんや妹とおしゃべりしているうちに 

あの時はこうだったね ああだったね と思い出すのも楽しい

でもね、、、

記憶の脳内再生力も 年齢と共に衰えていくので 

思い出を保存するすべがないのは やっぱり寂しいです 

ジュリーの考えや 経営者としての採算を考えての上で

DVDなどに残さないのであれば それはしかたないことと 思うんですけど ね

 

って 最後は愚痴でしめくくってしまいました

が 私のジュリーファン歴は まだまだ続く予定 

命が有る限り ジュリーを忘れるほど忘却の人になるまでは

健康に留意して ジュリーについて行きましょう 皆様もこれからも永く長くご一緒に

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