十月の半ばに 102歳になったばかりの義母
100歳になってから 膝の不具合で歩行が困難になり 介護施設でお世話になっていました
誕生日の数日後 いつものように診察してくださっているお医者様に
「お世話になりました 長い間ありがとうございました」
と挨拶をしたと 義兄から電話が有りました
そんなことは初めてのことで 不思議に感じた職員さんが連絡をくれたそうです
義兄がすぐに逢いに行ってみると (コロナのせいで直接面会はできないけれど ガラス越しに対面できる)
普段通りの義母だったと報告が有りました
けれど その日から 日に日に生命力が衰えていきつつ有ったようで…
10月30日の未明 義母は旅立ちました

お医者様に言った言葉は 自分の旅立ちを悟ったからだったのでしょうか…
何年か前 死は怖いと言っていた義母
その時が来て 怖くはなかったでしょうか…
日頃から 何事もきちんとしきたりを守りたいタイプの義母だったから
自分の葬儀の日も 空から采配を振るっていたのではないかと思えるような日取りでした
我が家の仕事柄 月末は絶対に会社を空けられない
10月末は31日が土曜日のため 30日にすべての事務処理を済ませなければなりませんでした
30日の未明からそのまま起きて動き出し その日の会社の事務を全て済ませることができて
九州へ旅立つ用意もできて
その日の夜出発すれば 31日の土曜日の葬儀に間に合う
息子たちも孫たちもひ孫たちも 土日は休みの者が多いから仕事への影響も少ない
全てが 段取りよく進められたのです
31日は秋晴れ
翌日の帰り道も晴れ 時々狐の嫁入りのような天気雨が降る一日でした
きっと 気丈な義母が天の神様や仏様に掛け合って
「私の葬儀は 誰にも迷惑の掛からないよう 後ろ指さされないような日取りとお天気にしてください」
と言ったに違いない と 家族と笑ってしまいました
満州で 良家のお嬢様として育ち 義父と結婚し
戦後は 義父はロシアに抑留され
その最中に 姑や自分の姉妹を連れて 映画の題材になりそうな引き上げの体験をした義母
戦後に生まれ のんびりと育った私のような嫁には 歯がゆい思いをされたことも 多々有ったのだろうなと思う…
勝ち気で気丈な義母でした
物静かな義父より 義母の方が 家庭内の発言力が有って強く思えていたけれど
義父がなくなって何年かの間は 義父の写真を見るのが辛いと裏返していた義母
強く見えても 義父を愛し頼りにしていたのだなと その時初めて 義母の中の弱い面に気づかされました
いろいろなことを教えて頂きました
お義母さん
ほんとうにお世話をおかけしました
ほんとうに ほんとうに ありがとうございました
前日夜に見舞いに行った義兄夫婦と 施設の好意で直接手を握って会話もできて
未明 苦しむこともなく一人静かに旅立った義母…
102歳の天寿を全うしたと 皆 納得して見送れたので
涙と笑顔とが入り混じった明るいお葬式でした
葬儀の日の玄界灘は穏やかで 沈む夕陽が綺麗でした

この日は ちょうど 何十年ぶりのハロウィン🎃と満月が重なった日で
小倉の街も美しい満月でした

駅裏の広場で自転車で遊ぶ若者たちが
そのうち ETの映画のように空へ舞い上がる という想像をしてしまうような
妖しく美しくもの哀しいハロウィンの満月の夜でした
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